ホテルヒストリー

1878年
明治11年

山口仙之助、箱根宮ノ下に富士屋ホテル創業

富士屋ホテル
山口仙之助
創業者 山口仙之助

明治4年、20歳で米国に渡り、将来は牧畜事業がわが国に有益であることを信じ、苦労の末に蓄えた資金で7頭の種牛を購入し帰国。慶應義塾に入学し、福沢諭吉に国際観光の重要性を説かれ、牛を売却して得た資金を基にホテル業を決意。
1、在日外国人の憧憬の的が箱根・富士山であること
2、東京、横浜から近距離にある景勝地であること
3、温泉が湧き出ていること
以上3点の立地条件を備えた箱根・宮ノ下にホテルを開業。

1883
明治16年

宮ノ下大火で類焼。創業以来の記録も消失する

1884
明治17年

12室木造平屋の洋館を竣工。「アイリー」(”鷹の巣“の意)と命名

1886
明治19年

10室の洋館竣工。「ハーミテイジ」(隠者の庵)と命名

1887
明治20年
塔ノ沢・宮ノ下間道路

塔ノ沢・宮ノ下間道路

総工費1万882円、距離約7kmの塔ノ沢・宮ノ下間道路が開通

2棟15室の日本館を竣工。後の「フォレスト・ロッジ」

箱根の山道を登る独自の交通手段 チェア

道路を開通させてようやく人力車が宮ノ下まで通れるようになったが、急な山道を登るには人夫が二人必要であったため、椅子に棒をくくりつけて運ぶ「チェア」が発案された。
4~6人の人夫によって担がれ、春秋のシーズンには宮ノ下より箱根を一周するチェアが70程あり、それを担ぐ300人近い人夫が毎朝ホテル本館の前後を取り巻いていた。

チェア
1889
明治22年

山口仙之助、町村制施行により、宮ノ下にあった温泉村の村長に就任

1890
明治23年

牛乳を自給するため、5頭の乳牛を購入、牛舎を建築し牛乳搾取販売出張所を設置

1891年
明治24年

現在も現役で活躍する「本館」竣工、火力発電により、館内を点灯

本館
今もなお、お客様をお迎えする 本館

唐破風の玄関を持つ木造洋風建築。
木造でありながら大変強固な建物で、関東大震災の際もガラス戸一枚割れずに残り、現在でも一階フロント・ロビー、二階が客室として親しまれている。

1893
明治26年

水力発電機を開発し、本館裏に発電所を設ける

奈良屋旅館との間で、富士屋ホテルを外国人専用とする協定を締結、大正元年まで継続

商法実施にあたり、個人経営から株式会社組織に変更。7月1日より開業、12月9日設立登記

1895
明治28年

宮内省により宮ノ下御用邸竣工。後に払い下げを受け、現在の「菊華荘」となる

1902
明治35年

特設電話・宮ノ下2番が開通

1904
明治37年

宮ノ下水力電気合資会社設立。2年後の開業と共に自家発電を廃止、地域全体に電力を供給する

1906年
明治39年

山口仙之助、今日の「日本ホテル協会」前身である「大日本ホテル業同盟会」結成、会長就任

西洋館1号館(カムフィロッジ)、2号館(レストフル・コテージ)竣工

西洋館
西洋と日本文化の融合した建物 西洋館

こじんまりとしたコテージ風の雰囲気を持つ建物。
唐破造りの大きな屋根を持ち、和洋折衷の雰囲気を併せ持つ。

1907
明治40年

金谷ホテル創業者金谷善一郎の次男正造、山口仙之助の長女孝子と結婚、山口家に入婿

1911
明治44年

倍井堅吉、山口仙之助の次女貞子と結婚、山口家に入婿

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