ホテルヒストリー

1930
昭和5年
メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」

メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」

現在まで活躍する食堂棟竣工。それに伴い本館を大改造、一般銀食器類及び国賓・皇族用の特別食器が作られる

富士屋ホテルトレイニングスクールを開校

メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」

食堂棟の二階に位置するメインダイニング。
社寺建築を思わせる格天井には636種類の異なる高山植物が描かれ、天井付近の壁には507羽の鳥と238匹の蝶が羽ばたき、その下には十二支を中心とした動物の彫刻が施されている。
柱の下のトーテムポールのように掘り込まれた鬼の顔は、鋭い目つきで従業員を監督している山口正造と言われている。

1931
昭和6年

前年の豆相地震で全壊した箱根ホテルの本館を新築

山口正造、「万国髭倶楽部(International Moustache Club)」創立。10ヶ国43名が登録する

タイ王国皇帝皇后両陛下が富士屋ホテルにご滞在

国際交流手段として設立された「万国髭倶楽部」

富士屋ホテルの海外宣伝効果を高めるために山口正造が創立。
入会条件は最低2インチ(約5センチ)以上の髭があることで、正造の考えた独特の国際交流であった。

万国髭倶楽部
1932
昭和7年
チャールズ・スペンサー・チャップリン(左)来館

チャールズ・スペンサー・チャップリン(左)来館

チャールズ・チャップリン、兄のシドニーとともにご来館

1934年
昭和9年

大正9年建築の舞踏場を、100名収容可能な舞踏・宴会場に改修工事完了。滝が見えることから「カスケードルーム」と名づけられる

カスケードルーム

『We Japanese』第一巻を発行

随所に彫刻が施され、数々のパーティが開催されたカスケードルーム

庭園の小滝を望めることから、小滝を意味する「カスケード」と名づけられた。
江戸時代の東海道の旅の様子や日本の名所、伝統行事を、一枚の板に両面まったく同じに彫っためずらしい彫刻が、欄間一面に使われている。
また、壁面を覆うステンドグラスには、緑あふれる箱根と富士山が描かれている。

1935
昭和10年

満州国皇帝のご来館に備え、玄関を大改造

本館前に屋外舞踏場を新設。その後毎夏舞踏会を催す社交の中心となる

明治17年建造の「アイリー」、現在地に移築

1936年
昭和11年

山口正造の設計により、「花御殿」竣工。「フラワー・パレス」として世界的に知られるようになる

富士ビューホテル竣工

花御殿

花御殿

富士ビューホテル

富士ビューホテル

「フラワーパレス」として外国人に親しまれる 花御殿

山口正造が手がけた和風意匠をテーマにした建物の集大成で、設計者は正造自身。
43室の客室には部屋番号の代わりに花の名前がつけられ、客室のドア、鍵、そして部屋のインテリアにも各部屋の花のモチーフが使われている。

花御殿竣工の5日後に開業した富士ビューホテル

富士山を間近に仰ぐ河口湖畔に竣工。
昭和15年の東京オリンピックを意識して建てた山梨で最初の洋風ホテル。
屋根の上には2つの展望塔が設けられており、独特の外観はリニューアルされた現在でも継承されている。

1937
昭和12年
ヘレン・ケラー(左)来館

ヘレン・ケラー(左)来館

ヘレン・ケラーが来日、富士屋ホテル、花御殿にご宿泊

1938
昭和13年

『回顧六十年』刊行

1939
昭和14年

戦局を洞察した山口正造により、食糧自給自足を計画。仙石ゴルフ場にて牧畜経営が進められる

1941
昭和16年

開戦直後より連合軍側の外交官軟禁が行われ、富士屋ホテルにはヨーロッパ諸国や中南米の公使以下外交官約70名が抑留

1944
昭和19年

前年、代表取締役社長に就任した山口正造が死去。山口堅吉が代表取締役に就任

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